「有」とは、「自分の存在のあり方」のこと

「有」は、いろいろな意味で解釈されますが、ここでは「自分の存在のあり方」と考えます。

人は「老い」や「死」という言葉(概念)を覚えると、自分は老いたくない、自分は死にたくない、自分は生きていたいと苦悩します。けれど同時に、人は自分の死を避けることはできないと心のどこかで気づいています。

すると今度は、自分の存在にとって有利となる生き方、少しでも長く生きられる生き方、行動や思考のあり方、つまり自分の生存様式を探ることになります。浅野孝雄(あさのたかお)氏は、『古代インド仏教と現代脳科学における心の発見』の中で、「有」を「生得的傾向の具体化」ととらえています。生得的傾向とは「生きること」であり、その具体化とは「生き方」であると思われます。

すでに「自分という意識」にとらわれた存在となっているので、そこには、どう生きたらいいのかという苦悩が生まれます。「自分」というものが存在すると思うからこそ、「自分」はどう生きたらいいのかという苦悩が生じます。

「自分」というものが存在すると思うことそのものが、すでに「迷いの生まれ」を意味し、そう思っている人は「迷いが生まれた存在」であります。

中村元(なかむらはじめ)訳の初期仏教経典の中では、「迷いの生存」と訳されるものに相当するかと思われます。そして、「迷いの生存」として「どう生きるか」が問われます。誰かに「君はどう生きるのか」と問われているようでもあります。

「有」は、一般に「生存」とも訳されますが、多くの場合「迷いの生存」として語られることが多いように思われます。この場合「迷いの生存」は、生存の素因(五蘊)から成る「自我」を意味します。

【前回の記事を読む】十二支縁起における「生まれること」とは「自我に目覚めること」を意味している

 

【イチオシ記事】「リンパへの転移が見つかりました」手術後三カ月で再発。五年生存率は十パーセント。涙を抑えることができなかった…

【注目記事】店が潰れるという噂に足を運ぶと「抱いて」と柔らかい体が絡んできて…