開け放たれた寝室の扉の向こうに赤い天蓋のついた寝台が置かれているのが見えた。その扉にしがみついて一人の少年が泣いている。
この家の子だろうか、背の高い身なりのきちんとした少年は後ろ姿こそ大きく見えたが、振り返ればまだ子どもの顔だ。リリスの姿を見て驚き怯えた表情を隠しきれない。
寝台の上ではこの少年の母親がのたうち、傍にいるのは呼ばれた医者か、ゆったりとした長衣をまとった男が、召使いの女が三人がかりで押さえつけている病人の腕の下に銀の盆を差し入れるところだった。
放血(ほうけつ)をする気か、馬鹿な! リリスは見てはおれず寝室の中に飛び込んだ。
「駄目だ! そんなことをするんじゃない!」
部屋の隅で顔を覆っていた染め物商は、突然白い人物が乱入してきたことに血相を変えた。
「な、何だあんたは! ひ、人の家に勝手に入り込んで、出ていってくれ!」
染め物商は、汚らわしいものでも見るように青筋立ててリリスを追い払おうとしたが、番頭が飛び出して主人の前に跪き、その出足を抑えた。
「旦那様! 私がお連れしたのです。落ち着いて下さいませ!」
「何だと!」
主人は我慢ならぬと拳を振り上げた。
「勝手なことを致しましたが、聞いて下さいませ! 奥様のご病状が私の父とそっくりで……父は十日も苦しみましたあげく、最後は胃汁を吐いて死……いえ、そうなってはなりませぬから、どうか他の手立てはないと思ってこのヴァネッサのお医者様に頼って下さいませ!」
番頭は必死に訴えた。
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次回更新は12月16日(月)、18時の予定です。
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