父は頷きながら娘の手を力を込めて握り返した。ここで父が亡くなるなんて、夢にも思わなかった。もっと長い時間を共有し、挑戦する姿を見てほしかったし久史と共に未来を築いていくはずだった。紫衣は納得がいかず、もう一度久史と語り合いたいと強く思った。
しかし、それはもう叶わない。そう思うと、胸が引き裂かれるような痛みを感じた。そして久史の無念さを考えると、さらに寂しさと悔しさが増していくばかりだった。
お父さん、私はあなたが私を想っている以上にあなたを大好きでした。二週間後に久史は逝ったのだが、紫衣は父の葬儀に伯父が来るのを断った。
以来 、紫衣はあの美しい島には行っていない。
久史が亡くなり、ほどなくして母の美紀も亡くなった。仲のいい夫婦だったのだろう。
久史六十一才、美紀五十八才だった。
年の離れた兄の翔には家庭があり、会社の赴任先の名古屋にいるので、紫衣は一人になってしまった。紫衣の心は千切れるほどに痛みを感じ、夜はいつも一人で泣いていた。
紫衣は父の影響もあり、理科系の大学を卒業していた。学校の実験で見た炎色反応が堪らなく美しく、「色」が大好きになったからだ。久史がステンドグラスを作っていた影響もあり、色を沢山作る仕事をしたいと、調色師(ちょうしょくし)になった。
久史はたいそう喜び、紫衣に「俺の欲しいガラスの色を作ってくれ」と言っていた。
調色師は、色彩を調整し、最終的な製品が指定された色と一致するようにする専門家で、様々な製品の制作に関わっている。
紫衣は父が喜ぶであろうガラスの調色に関わることにしたのだ。
二十五才で両親をなくした紫衣は、大切な人を失くす悲しみを二度と味わいたくない、味わわせたくない、という気持ちが強かった。付き合った人は何人かいたが、結婚にも憧れず子供も作る気にはなれなかった。
両親が亡くなった時、深い悲しみと共に不思議に安堵も生まれた。もうこれ以上私の人生に辛く悲しいことは起こらないのだ、と。
そう言い聞かせるしかなかったというのが本当のところかもしれない。幸い打ち込める仕事もあり、それは紫衣の自立心にも満足感を与えてくれたので、仕事に没頭する日々が続いた。
紫衣は父の欲しかった青のガラスをいつか作りたいと思っていた。
青いガラス。
その色はアメリカの叔父さんがくれた青い石の指輪の色。既成のガラスにはない色だった。
光はゆっくりと波打って青いガラスを貫き、その青色の深みを浮かび上がらせる、そんなガラスを久史は欲しがっていた。
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