第一章 全てを赦(ゆる)す色
銀杏(いちょう)が黄色くなる季節
久史のデザインは当時では斬新で、イギリスのデイヴィッド・ホックニーに影響された色遣いなどを多用していた。モチーフもハイビスカスやヨットやヤシの木などを使用しており、とても独創的なステンドグラスであった。
家の窓にステンドグラスを入れたいというオーダーも多く、もちろん久史の家の窓ガラスもステンドグラスの光の森になっていた。
紫衣は久史に「安定した職業から変わるとき不安はなかった?」と聞いた。
久史は笑いながら「安定とは安く定まる、と書くんだよ」と答えた。
久史は常に自分を信じ、長いものには巻かれず生き抜いた。
本来ならもっと長く。
*
久史が自転車で移動していたときに、左折してきた車に巻き込まれるという事故にあった。幸い命は助かったが、それ以来いつも肺が苦しいと言うようになった。入院したが原因はわからず、もうすぐ退院という時に院内感染で急に亡くなったのだ。
銀杏(いちょう)が黄色くなる季節に。
紫衣が二十五才の時だった。
退院する週に久史は急に肺炎になり、病院から紫衣に呼び出しがあった。
すぐに個室に移し、紫衣も泊まったが、翌朝、「今ベッドを少し起こしていますが、このベッドを平らにしたらすぐに亡くなります。別の方法として、人工呼吸器をつけて回復を試みる選択肢もあります。どうされますか?」
と医師から伝えられた。
紫衣は「父の苦しくない方に」と人工呼吸器を選んだ。
とても仲のよい親子だったが、将来の話や真面目な話はしたことがなかった。
恥ずかしかったのだ。
そういう話をすることが。
でもその翌年に一緒にオーストラリアに旅する約束はしていた。紫衣がコアラに会いたいと言い、久史と行くことになっていたのだ。
人工呼吸器をつける前に、苦しそうにしている父に紫衣は振り絞るように言った。
「オーストラリアに行く約束したじゃない。治ってくれないと困るんだから」
泣きながら久史の手を握った。