後方に八ケ岳が消え去ろうとしていた。列車はやっと茅野へ差しかかったところで、伊藤医師は苛々していた。
列車の故障で甲府に三時間も停まっていたというのである。目が覚めた時、間近に八ケ岳が見えていて吃驚した。一瞬訳が判らなくなった。電車は快調に進んでいて、時計は七時半を示していた。ふと寝過ごして東京へ逆戻りしているのではないかとも思ったが、方向は正しかった。通りがかった車掌に訊いてやっと事情が飲みこめたのだ。
それにしても三時間遅れとは何たることか。せっかくの長閑な風景も、怒りに燃えた目には苛立ちのタネでしかなかった。この二日間であいつの尻尾を捕まえなければならないのだ。時間は一分でも一秒でも惜しかった。もし出来るのであれば、モーターを掻き回して電車の手助けをしたいくらいだった。
「九時到着か、松本へ着いてまず何をしよう」
そう呟いてみると少し冷静になってきた。昨晩タクシーの運転手の情報を得てこの列車に飛び乗った。だがその先どうするのか、具体的なことは何も考えていなかったのだ。松本到着まであと一時間ほどだった。彼は持ち前の薄笑いを口元に浮かべると、ふふんと鼻を鳴らした。
判っているのは緑の松本ナンバーのトラックということ、ボディに「新潟-長野-東京」と書かれていること、それに燕のマークがついていることだけだ。それで一台の車を特定出来るのだろうか。それは少々無理なような気がした。二日間では時間が足りないと思われた。
まずはマークから会社名を探り出すこと、ついで松本ナンバーの車が所属する営業所を割り出すべきだった。そうすると「新潟-長野-東京」と書かれた車の数も限定されてくるはずだ。そうしてあとはシラミ潰しに個々の運転手に尋ねてみればよいのだ。問題となるのはやはり残された時間の少なさだろう。