第二章 歴代中華王朝における華夷秩序の変遷

清の時代 

ドイツは三国干渉以来、一貫して日本の大陸進出と英国の極東権益阻止を狙って清国に軍事援助や関与を続けているのである。一九〇〇年の義和団事件の発生に際しては、英・米・仏・露・独・伊・墺・日の八か国が参加して騒乱を鎮圧し、北京への外国公使館の設定、外国軍隊の北京駐留を承認させ、さらに賠償金四億五千万両を清に支払わせている。

これは当時の清国の弱体化と国内の乱れに付け込んだ、欧米列強による傍若無人の行為であった。清国にとっては、日清戦争後の露・独・仏による日本に対する三国干渉に伴う臥薪嘗胆(がしんしょうたん)(非常な口惜しさ)にも勝る屈辱的な行為であっただろう。

もしも習近平氏が清国側の当事者であったなら、必ずやリベンジを誓うであろう。

以後、中国の港湾や枢要な地域が外国に解放され、欧米列強が次々に租借していくことになる。これは華夷秩序(朝貢制度)対欧米の不平等契約(万国公法)との争いでもあった。

特筆すべきは、新興国アメリカは義和団事件(一九〇〇年)後、国家として本格的に中国大陸と交易関係を結ぶことになったということである。

日本が「漢委奴国王印(かんのわのなのこくおういん)」を受けてから一八〇〇年近くも経った後のことである。

このことが今日もなお米国の対中政策に大きく影響していることを知らなければならない。その影響については後述する。