「何を勿体ないことを仰いますか。私はあの時、ここは自分がどうしても名乗り出なければ納まらぬかと思案して迷っておりました。カザルス様にもあのような不快が及び、さあこれをどう収拾したものかと」
カザルスは思いがけず自分の名がこの従者の口から出たのを心地よく聞いた。
「儂がちょっと調子に乗りすぎてイヨロンドを追いつめたのが悪かった。だがまあ、ここで誰がこれがと庇い合っておるより、さあ、早う」
カザルスは衛兵を呼び集めてシルヴィア・ガブリエルを急かした。
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「大騒ぎして連れてこられた割には何じゃ、ちっぽけな傷じゃのお」
シルヴィア・ガブリエルの脇腹に赤く細い線を引いたような傷を覗き込んでイダがしゃがれた声を出した。イダはカザルスが城内に抱えている医者である。
珍しい物好きで先進的なカザルスは、貴賤(きせん)も洋の東西も問わず、能力の優れた者は誰でも喜んで登用し、城内に工房やら庵を構えさせていた。
イダもそうした者の一人で、出身はここよりずっとずっと東の国の、いつ生まれたかもわからぬ異民族の老人であった。
風体はまことに奇怪、てっぺんの薄い頭髪は白髪混じりで、丸いひしゃげた顔の周囲にぼうぼうと伸び放題に取り散らかっていた。
皺だらけの目蓋は目の上に覆い被さっていたが、その中できらと光る濁りのない黒い瞳が、老人とは思えぬ鋭さを放っていた。子どものような小さな体の割にそこから発せられる存在感は格別で、一種異様で風変わりな老怪であった。
【前回の記事を読む】完全に敗北したイヨロンド。だが、ふいに俊敏な動作で立ち上がり、スカートの中から取り出した抜き身の短刀を手にし…
次回更新は11月1日(金)、18時の予定です。