「儂が調べさせたところあの者、ちょっと札つきでな、諸国を廻(まわ)ってはこれまでも数々の問題を起こしておる。特にな、あやつの配下にボリスという男がおってな、奥方はこの者の仇名をご存知かな?……毒蛇と言うそうな。仇名の由来も聞きたいですかな? それとも止めておきましょうかな?」
言葉の調子の割には、カザルスは厳とした顔でイヨロンドを見据えていた。
「これ以上悪あがきをなされば、ご自分の足元にも火が付きますぞ!」
蒼白になったイヨロンドは呆然自失にがくっと膝を折ってその場にしゃがみ込んだ。
「儂はな、ここにおるシャルル殿のためにも、敢えて事を暴こうとは思わぬ。だが、身に覚えはござろう、奥方よ」
カザルスの落ち着いた低い声がイヨロンドを窘(たしな)め、それにより烈女の燃えさかる逆上の火は見る間に鎮火するように見えた。
床を掴みじっと動かないイヨロンドを見て、事は決着したと判断したカザルスが退席しようと動き、それにバルタザールも従った。
シャルルはしばらく敗北した母の様子を見ていたが、手を差し伸べて助け起こすことも声をかけることも拒絶しているようなその姿にどうすることもできず、居心地悪くもじもじと立ち上がってカザルスに続いた。
が、この時虚脱したイヨロンドの血走った目がぎろと彼の背中を追った。それを察したシルヴィア・ガブリエルがさっとシャルルのあとに続き、その視線を遮断した。
イヨロンドがふいに俊敏な動作で立ち上がった時、彼女はスカートの中から取り出した抜き身の短刀を手に振りかざしていた。
【前回の記事を読む】イヨロンドが血相を変えて突然乗り込んで来た! それまで親睦気分で狩りだのチェスだのとのんびり過ごしていたが…
次回更新は10月31日(木)、18時の予定です。