jatiには「諸蘊の出現」という意味もあり、「生まれること」は「五蘊が生まれること」(自我が生まれること)を意味していると思われます。
これらのことから、「生まれること」という言葉は、「赤ん坊として生まれること」ではなく、「迷いが生まれること」を意味し、錯覚としての我という意識、自分という意識が生まれること、一般的には「自我が生まれること」を意味していると考えられます。
また「生まれることを繰り返す」とは、再び「生まれること」であり、自我というものが、行為(身体行為、発語行為、思考行為)に伴って、そのつど更新され「迷いの生存」が「再生」されること、つまり「自我の再生」を意味していると思われます。
このことは、当時の輪廻思想、「生まれ変わり」思想において「霊魂の再生」と考えられていたものを、仏教では「自我の再生」という意味に転換し、輪廻というのは「自我の再生」の繰り返しを意味するものに転換したと考えられます。
再生によって繰り返されるものは、霊魂なるものではなく、「自我という意識」にすぎないという理解であります。
つまり十二支縁起における「生まれること」は、現代の言葉で言えば、子供が「自我に目覚めること」「自分という意識が心に生まれること」を意味していると思われます。
「生まれることによって老いと死がある」という十二支縁起における最初の説明は、もともとは「自我が生まれることによって、老いと死の苦がある」ということを語ったものだと思われます。
現代的には、「自分という意識が生まれることによって、自分に関わる老いと死の苦悩が起こる」ということを述べたものと考えられます。
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