第一部フローベールの芸術的出発 ―初期作品を読む ―
3.汎神論(panthéisme(パンテェイスム))的恍惚体験
『11月』にみるこのエクスタシーは、「フローベールが十全に体験した唯一のものであろう。」注1と、M・ルブサンは言っている。
しかし、〈できる事なら日の光の中に……〉〈あたかも天上の幸福が……〉と条件法過去形による非現実仮定の表現が用いられている事に留意する必要があるだろう。この条件法過去形は47年のブルターニュ旅行ベリル海岸での体験記述にも見出せる。
先のサゴーヌ湾での記述も、汎神論的体験を述べるくだりは、On(フランス語で我々、一般的人を示す不定代名詞)を主語とする現在形という一般論的記述となっている事を考え合わせると、自然の中に完全に忘我し自我が拡散消滅する宇宙的合体感の恍惚体験というのは、フローベールの十全な実体験としては意識されなかったのではないかと思えてくる。
「……我々は目を楽しませ、鼻孔を広げ耳を開いた。……自然の力をより親密に捉え、より深く感知できた。……一心に浸透し入り込んで自然と一体となり、自然の中に拡散した。自然に捉えられ、自然が支配するのを感じ、その事で法外な喜びを覚えた。自然の中に自己を消滅しその虜となるか自然をこちらに取り込む事ができればと思った。自然の中に横たわり、歓喜と悦びにふるえて、人を愛するときの熱狂のように、触れる為にもっと多くの手が、接吻する為に唇が、眺める為に視線が、愛する為に心がもっと多くあればと思った。……」