遥(はる)か四十年も昔、まだ二十代末の頃に、西行は奥州(おうしゅう)の旅に出たことがある。

待賢門院璋子(たいけんもんいんたまこ)が亡くなり一周忌も過ぎた頃、璋子(たまこ)の面影(おもかげ)を振り切るようにして二十代末の西行は、真冬の奥州(おうしゅう)へと旅立ったのである。

老いた西行の眼差(まなざ)しがふと遠くなるのを、重源(ちょうげん)は見逃さなかった。

重源(ちょうげん)は、自分が僧の枠(わく)に収(おさ)まりきらぬ器量を持ち、そのために他の僧達からはいつも胡散臭(うさんくさ)く見られているのを知っていた。

どこに居ても自分は周りの人々からはみ出し、宙に浮いてしまう。この国は狭すぎる。このままでは、この国に自分の居場所は無い。