序章 旅立ち

「わしは天狗(てんぐ)だ。下界の事など、天狗(てんぐ)の知ったことか。お主が思案しろっ」大音声(だいおんじょう)とともに、僧正坊は消え去った。翌月の文治二年四月、伊勢を重源(ちょうげん)が東大寺の僧六十人と大勢の衆徒(しゅうと)を率(ひき)いて訪れた。

伊勢神宮の内宮 (ないくう)・外宮(げくう)にそれぞれ「大般若経(だいはんにゃきょう)」六百巻を奉納し、大仏殿再建の祈願をするためである。東大寺の大仏殿と大仏は平重衡(たいらのしげひら)により六年前に焼失した。

再建の命を受けた重源(ちょうげん)は宋の陳和卿(ちんなけい)を招き、資金と仏師や工人達を調達し、ようやく大仏開眼(だいぶつかいげん)にまでこぎつけたのである。

内宮(ないくう)外宮(げくう)の参拝(さんぱい)を済ませると、重源(ちょうげん)一行は二見(ふたみ)が浦(うら)にある天覚寺(てんがくじ)に向かった。

天覚寺(てんがくじ)側では総勢七百人の衆徒を迎えるために、大慌(おおあわ)てで新しく宿所や湯屋を作り、七百人分の膳(ぜん)を用意するという騒ぎであった。

天覚寺(てんがくじ)に到着すると重源(ちょうげん)は、夕餉(ゆうげ)までの時間をみつけ、わずかの従僧を連れて、浜伝いに安養山(あんようさん)に向かった。

「そなた等は、この辺(あた)りでしばらく待っておれ」

山の麓(ふもと)で従僧達にそう告げると重源(ちょうげん)は一人山道をたどり、中腹の西行庵(あん)を訪れた。この辺りにまで潮騒(しおさい)が聞こえた。木(こ)の間隠(まがく)れに小さな庵(いおり)が結ばれているのが見えた。

「突然のことですが、失礼いたします」

重源(ちょうげん)は西行庵(あん)の戸口に立って、深々と頭を下げた。

六十一歳の重源(ちょうげん)は、宋(そう)に三度行ったことがあると自称していた。陳和卿(ちんなけい)とも宋(そう)の言葉で自在に話し、現場の梁棟(とうりょう)や仏師とも堂々と交渉する。

胆力(たんりょく)と精気が目付きにも口元にも満ち満ちていて、僧というには度量が大きすぎる男である。入宋以前にどこの寺でどんな修行をしていたかも、よくわからない。謎めいた男である。

「これはこれは……俊乗坊重源上人(しゅんじょうぼうちょうげんしょうにん)、でございますね」西行は、ゆるりと立ち上がって戸口まで出迎えた。