緑と紺と金の縫(ぬ)い取りの施(ほどこ)された光沢(こうたく)のある絹の袈裟(けさ)を一目見て、すぐに西行には相手が誰かわかった。

歌会で親しくしている伊勢神宮の神官達が、以前から『重源(ちょうげん)が東大寺の僧侶(そうりょ)を大勢引きつれて参拝(さんぱい)に来るらしい』と噂(うわさ)し、困惑(こんわく)していたのを西行は耳にしていた。

元来(がんらい)神社は仏僧を忌(い)むものである。ことに格式の高い伊勢神宮では西行自身は表(おもて)だって参拝するのは控え、せいぜい人目の無い夕刻などにそっと手を合わせる程度にとどめていた。

だが重源はそんなことに頓着(とんちゃく)せず、戸惑(とまど)う神官達の声も無視して華々しく総勢七百人の僧侶(そうりょ)・衆徒(しゅうと)を引き連れ、堂々と伊勢神宮の内宮(ないくう)・外宮(げくう)に参拝したのだ。

庵(いおり)に招(しょう)じ入れられると、重源(ちょうげん)は素早く庵室(あんしつ)を見回した。浜荻 (はまおぎ)を折(お)り敷(し)き、片隅には文台(ぶんだい)の代わりらしい花かごに筆や墨が置かれ、硯(すずり)には自然の石の水を入れる所がくぼんでいる物を用いている。

清々(すがすが)しいほどに、何も無い。

向き合ってみると、西行は姿勢も良く重源(ちょうげん)に少しも引けを取らない。たたずまいはゆったりとして口元には穏やかな微笑をたたえていたが、どこにも隙(すき)が無かった。

重源(ちょうげん)は今まで聖俗様々な大勢の人々と渡り合ってきたが、こんな男は初めてだ、とひそかに思った。

「先年の大仏の御開眼(ごかいげん)、まことにおめでとうございます。またこの度(たび)は伊勢神宮に大般若経(だいはんにゃきょう)をご奉納(ほうのう)されたとか、有り難く貴きお志(こころざし)と存じ上げます」

西行は静かだがよく透(とお)る柔らかな声で挨拶を述べると、美しい所作(しょさ)で合掌(がっしょう)した。さすが若き日に北面(ほくめん)の武士(ぶし)として仕えた元武者だけのことはある、と重源(ちょうげん)は思った。

「その大仏のことで、こうしてお願いに上がったのです」

招き入れられた狭い庵室(あんしつ)で白湯(さゆ)を馳走(ちそう)になりながら、重源(ちょうげん)は西行に頭を下げた。

 

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