「いい時でよかったわ。ゆっくりご覧になって」
典子は頬笑みを向け、それからずーっと気になっていた事を訊いた。
「さっき……成田に向かう……と言っていたけれど……」
茉莉は一瞬怪訝な顔をしたが「ええ、ニューヨークに発つのよ」と即座に応じた。「明日の午後便で」
「……」すると、もう一日ほどもないのだ。
「明日の午後?」典子は念を押すように訊いた。
「ええ、十三時二十分のフライト」と茉莉は引いているスーツケースを横向きに回した。「車が迎えに来る手はずになっているわ。明朝の九時には」
「……朝の九時に?」語尾が消え入りかけた。それまで何時間あるというのだろうか、瞬時には頭が働かなかった。
典子は目をフェンスの薔薇の方に向けた。花蜂が一心に(イスパファン)の花芯に頭を潜り込まそうとしている。それは見る間に、膨らんだお尻だけになっていった。
「成田ならここから二時間もかからないわ」と典子は顔を戻して言った。「都心からのルートと違って渋滞の心配もないわ」
「そのようね、ドライバーもそう言っていたからその心配はしていないわ」茉莉は典子から遠くに目を流した。
「チェックインの前にもする事があるのよ」
まだ着いたばかりなのに、今にも帰るような話になってしまったのを典子は悲しく思った。茉莉の声色には、滞在の短さを惜しむようなニュアンスは全くなかった。
―― でも、それで十分なのだ―― 典子はそう言い聞かせた。
茉莉は来てくれたのだ。それ以上望むべき事はないのだから。
「九時の出発なら安心だわ。きっと予定の時刻に着くわ」典子は淡い微笑を向けた。
「ゆっくりとご覧になってきて。ここからは勾配が緩いので荷物があっても楽だわ、私は先に行って回りを片付けなくては」と知らずに早口になっていた。「とてもお客様を迎えられる状態ではないの」
【前回の記事を読む】「泊めていただけるという事かしら?」 その声色は、本心を隠すようにしゃがれていた。