私は、妊娠七カ月頃から、毎日、原因不明の発熱や体のあちこちの痛みに悩まされるようになっていた。
その頃は、ちょうど長男が歩き始めた頃で、ますます目が離せなくなってきていたこともあり、長男の育児や家事が、身重の体には負担になっていたようで、そのため、これ以上無理を続けたら、元気な赤ちゃんを産めないのではないかという不安を感じ始めていた。
また、私の目の不行き届きから、長男を事故に遭わせてしまうのではないかという心配もあった。
会社勤めをしていた義母が仕事を休んで家事をしていたが、そんな状態が、出産まで続けられるわけもなく、また無事にお産を迎えられたとしても、産後はもっと大変である。
お腹の子どもとまだ赤ん坊の長男を守るために、私はやむを得ず、産前産後の数カ月間、人手のある実家で過ごすことに決めたのである。
私にとっては不本意な決断だったが、いかんせん、体は辛いし、自分一人が我慢すれば済むという問題ではないのだから仕方がない。しかし、実家に滞在することは、私一人が我慢すれば済むことだと考えたのである。
実家では、ほとんどの家事を母が担ってくれたし、長男の育児も手伝ってくれた。肉体的に楽な生活になったせいか、私の体調は、それまでの不調が嘘のように、すぐに回復した。
実家には、約五カ月間、滞在することとなったが、その間、父は外に出たがる長男を散歩に連れ出して遊ばせるなど、よく面倒を見てくれていた。初孫でもある長男のことを本当に可愛がっていた。
しかし、それまで母と二人で平穏に暮らしていた父にとっては、いつも目が離せない赤ん坊との長期間にわたる同居生活は負担が大きかったようだ。この頃の父は、少しノイローゼ気味だったかもしれない。
とにかく、父は異常なほどに神経質な人だった。そして、お金にはものすごく細かかった。
【前回の記事を読む】父は妻や子どもに対して容赦なかった。子どもに対しても手のひらの跡がくっきり残る程の平手が頬に飛んできた。