第2章 
「地震予知」の絶望 ―前編― 予知できなかった! 兵庫県南部地震!

3.地震予知研究者の貴重な「生の声」!

また、地震後、科技庁を中心に地震調査研究推進本部が設けられ、「予知」より「調査・研究」へ方針転換が行われている。地震予知という言葉はもはや表立っては聞かれなくなった。行政の立場からすれば、責任の追及をおそれての対応だったかも知れない。

しかしながら、日本の大学の地震予知コミュニティーは、30年以上にわたって地震予知のための特別の予算を使って来たのであるから、このたびの震災にあたっては、予知研究が遅れていた事への何らかの反省をしても良かったと思う。周りを見ても皆自分の責任ではないと言う顔をしているように見受けられた。

観測所の技師や助手には、1日たりとも欠測を許すなと命じられていた。とにかく観測を第一優先とした30年が過ぎた。

国の中央では、これまで我が国の予知研究を担当してきた理学者は、地震後、測地学審議会で、今は予知ができないと公式発言をしたが……これはこれまでの主たる方針であった “とにかく前兆を捉えて予知を目指す”の姿勢を自己批判しての結論だが、果たして、前兆を捉えるための観測・研究をどれだけどこまでやったかは疑問である。

とは言え、兵庫県南部地震の地元でもあり、観測を重視してきた京大には、明確な前兆を捉え得なかったと言うもっと苦悩があっても良かった。』(1)と万感の思いを込めて訴えたのであった。

4.そして東日本大震災までの10年!

第一次新観測研究計画(1999年度〜2003年度)

「測地学審議会のレビュー」や「新ブループリント」の提言を踏まえた新5か年計画はこれまでの地震予知研究計画との違いから名称が「地震予知のための新たな観測研究計画」(第一次新観測研究計画)となり、とにかく観測重視の計画となったのであった。

新計画では、「大地震が発生するためには、地震発生前に地殻やマントルの状態が徐々に変化して、最終的に破壊に至る」と考えて、この準備過程を理解する研究を最優先の課題と位置付けた。

この間の研究成果で最も重要なものは「アスペリティモデルを提唱したこと」であり、「プレート境界で発生する大地震に関しては、同一のアスペリティ(固着領域)が繰り返し破壊することが分かってきた」とされた。