第4章 一夫と泰子さんの生い立ち
1 出会いから新婚旅行まで
二人の出会い
また、大正時代に建てた古い我が家のことを「お化けが出てきそうな家と思った」とも話していました。
私は最初に会ったとき、泰子さんはずっとニコニコしていて笑顔が素敵で、とってもいい人だなあという印象でしたし、実は「この人と、もしかしたら結婚するかもしれない」と思ったのでした。つまり、出会ったときから泰子さんに強く惹かれていたのでした。
そのお見合いの席で、共通の音楽を通して二人の会話は弾み、私は「実は来年の三月に、チェロの演奏会があるので、伴奏をお願いできませんか? 曲はブラームス作曲チェロソナタ第一番です」と聞いてみました。
すると何と泰子さんは、にこやかに軽い感じで、「いいですよ」と快く引き受けてくれました。
楽譜を渡しに福岡まで
お見合いの後もしばらく東京にいた泰子さんは、年末に福岡の実家に帰ってしまいました。よく考えたら、チェロの演奏会で伴奏をお願いしているのに、私は楽譜を渡していませんでした。
「まずは練習をしてもらわないと」と思い、福岡まで楽譜を届けに行くことにしました。というのも、私のチェロの先生は、毎月九州にレッスンに行っており、私もときどき一緒に行っていたので、それに合わせて年末に一緒に行こうと思ったのでした。
私が楽譜を渡すために福岡の泰子さんの実家までお邪魔することを、私は前もって連絡もせず突然行ったので、当然泰子さんはびっくりしていました。
私を見て「突然来られたのでびっくりしましたよ。緊張もしたし、何て言っていいかわからないし」と戸惑ったのでした。
そして泰子さんは、私が楽譜を渡したら「今日はこれから予定があるのでごめんなさいね」と出かけてしまったのです。残された私は仕方なく、泰子さんの父親・博之と二人きりで話すことになりました。でもそれが、とても良い機会になったのでした。
泰子さんの父親は音楽がすごく好きな方で、音楽談義をしました。特にモーツァルトが好きで、福岡のモーツァルト協会に所属されていました。だから同じくモーツァルトを好んでいた私は、父親に気に入ってもらえたのです。
結婚なんて考えてもいなかった泰子さんも、父親の一言がその後大きく響くことになりました。「この人はいくつになっても、結婚しても態度が変わらない。あの人は良いよ」と、お父さんが泰子さんに話していたそうです。
そして「あの父が言ったことだから。父が一夫さんは言動に一貫性があって信頼できる人だって言ってくれたことが、今もあっ、本当にその通りの人だったのだな、と思えます」と、泰子さんは振り返って話していました。