第4章 一夫と泰子さんの生い立ち
1 出会いから新婚旅行まで
わずか十八日の付き合いで結婚を決める
一九七九年三月十一日、本番の日が来ました。
短期間の音合わせでしたが、毎日合わせた練習のお陰で満足がいく演奏ができ、大きな拍手をいただきました。
終了後の反省会では、とてもいい演奏だったと、先生はもちろん皆さんから大絶賛でした。そんな中、一緒に演奏した仲間に、「当然二人は結婚するんでしょう」と突然言われたのです。でも私の決断は早く「はい」と言ったのでした。
「一夫さんたら強引なんだから(笑)。私も結婚したいと思っていたので、何となく恥ずかしかったし、ちっちゃくなっていました」と照れる泰子さんでした。
結局、このとき私は結婚宣言をすることになったのでした。お見合いをし、交際を始めてわずか五か月、演奏会のために毎日練習で会うようになって十八日でした。
結婚式の準備
それからが大変でした。私は福岡に行き、「泰子さんと結婚させてください」と彼女のご両親にお話をしました。私を気に入ってくれていた彼女の父親は、結婚に賛成してくださいましたが、母親は「無理しないで断ってもいいのよ」と囁くように、泰子さんに言い続けたそうです。
東京の音大を卒業し、そろそろ福岡に帰ってくるものだと思い、家も改築して待っていただけに、卒業と同時に突然娘を失うような、寂しい気持ちになったようでした。このように母親は少し反対気味でしたが、何とか了承していただきました。
私はもとより、彼女もほっとしました。結婚が許されると、今度は式の準備で忙しくなりました。結婚式場を探し始め、直前に結婚式を挙げた知り合いが東中野にある日本閣(今は閉館)を紹介してくれました。
五月二十二日が空いていたので、さっそく申し込みをしました。さらに結納の日取りを、三月三十日にすることに決めました。結婚式は、親戚の方とごく親しい友人だけを呼んで、仲人は私のチェロの先生夫妻にお願いしました。
私たちの超スピード婚は、極秘婚でもありました。私の同僚の結婚式が三月・四月と二つあって、その話題で持ちきりになっており、実は私も五月に急に結婚します、とは言えなかったのです。したがって式は身内でやることにしたのでした。
当日、私は祖父の紋付袴を着たのですが、祖父は私より小さかったので何と丈が短かったのです。