第4章 一夫と泰子さんの生い立ち
4 泰子さんの生い立ち
家の建て替えで音楽ホールを
また天井も高くしたかったのですが、二階があって上げられないので、私のアイディアでホール部分は下に一m下げてもらいました。お陰で、小さいですが五十人程度が入れる、音響のいい室内ホールができました。
そして、このホールに置くピアノをどうしようかと悩んでいたところ、タイミングよく知り合いの調律師から「素晴らしいグランドピアノがあるので、ぜひ見に来ませんか?」と勧められ、泰子さんはさっそく見に行きました。
弾かせてもらったら、音色も弾き心地もとてもいいピアノで、すごく気に入ったようで、即決には至らなかったものの、その後も何度か行って弾かせてもらいました。
「そのピアノを見に来られたほかの方が『誰かこのピアノを弾かれたんですか? 以前より音が出るようになっています』とおっしゃっていましたよ」と、調律師が泰子さんに話したそうです。つまり彼女が気に入って弾きまくっていたというわけです。
このグランドピアノは、ピラミッド・マホガニーというワインカラーの木でできていて、新しい音楽ホールにピッタリの楽器だったこともあり、結局買うことにしました。
このピアノは、シャンソンバーのオーナーが、お店に入れるために特注で購入したスタインウェイだったのですが、そのお店はすぐに廃業してしまい、楽器店が引き取ったため、ほとんど弾かれないままだったのです。
ここでも運命的なピアノとの出会いがあったのでした。
ミニコンサートを始める
一九八九年四月二十三日に、近所の方の触れ合いの場として自宅のホールで初めて、第一回コンセール・ドミのミニコンサートを開催しました。
長男は当時小学生、長女は保育園児でしたので、そのママ友や近所の方、そして私の友人に声をかけました。参加された方には連絡先をお聞きし、次回の案内も送りました。
休憩時間にはお菓子とコーヒーを出して、皆で楽しくお喋りをして、このミニコンサートは毎回とても人気がありました。
泰子さんは、シュークリームを作るのが好きで、よく作って配っていました。なのでコンサートの日の冷蔵庫は、シュークリームだらけになっていました。
また、小学生や保育園児も多かったので、親子コンサートも行いました。みんなで歌ったり、モーツァルト作曲といわれている「サイコロの音楽」では、二つのサイコロを振って出た目の合計で、用意されている表からその番号の一小節を選び、十六小節の曲を作ったりしました。
できた曲は不思議と、そのときの雰囲気に合った曲になったのです。また、コマーシャルで使われている曲の曲名当てなどいろいろ工夫していました。
さらに泰子さんは、世界的チェリストの安田謙一郎さんとの共演、恩師の小川京子先生との連弾、友人の小島芳子さんによるフォルテピアノの演奏、私の従兄弟(父親の兄の息子)の小野正志さん小野正童さんによる邦楽の演奏なども企画しました。