5 恩師の会「パピヨン」の設立

リサイタルをする

泰子さんは、恩師のお弟子さんたちの会「パピヨンの会」作りに携わっていました。これは、定期的にお弟子さんたち何人かが演奏する会で、学校を卒業するとなかなか演奏する機会がないため作ったそうです。

彼女は会の運営だけでなく、もちろんこちらでも積極的に演奏をして頑張っていました。

一九九二年六月十二日に、泰子さんはセシオン杉並で一回目のリサイタルをしました。曲目は、大好きなショパンとドビュッシーが中心でした。

これは、そのとき泰子さんの恩師、小川京子先生からいただいたメッセージです。

「いつのまにか、私が『桐朋』で教えた人たちが集まって『パピヨンの会』というのが生まれ、年に一度の顔合わせを楽しんでいる。

一年という区切りが、それぞれの顔に明暗を与える中で、泰子さんは女性としていつも幸せに輝いているように私には思われる。音楽が好きなご主人に恵まれて、彼女のもつ明るく温かな人柄と驚くべきバイタリティによって幸せな『音楽生活』を築きあげ、持続しているところがすばらしい。

独断的な云い方になるが、芸術作品は、そのほとんどが不幸な人生の代償として創造されている。敢えて云うなら、泰子さんのさらなる課題はこの光りと影の矛盾をとらえるところにあるのかも知れない。

ピアノ音楽における最高の天才たちの作品による初めてのリサイタルに心から拍手を贈り、さらに前進をねがいつつ」

 

また泰子さんのメッセージは、次のようでした。

「ピアノを始めて三十年近くも経ってしまった。考えてみるといろいろな時期があり、ピアノが楽しかったときも辛かったときもあり、ピアノをしていなかったらほかのどんな人生があったのだろうと思ってみたりもする。

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次回更新は10月12日(土)、18時の予定です。

 

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