第4章 一夫と泰子さんの生い立ち

5 恩師の会「パピヨン」の設立

リサイタルをする

「幼い頃からちょっと変わった、変に気の強い子どもだったと思う。何もできないくせに、どんな人間が一番偉いのかしら?とボーッと空を見ているような子どもだった。

でも、本を読んだり、絵を描いたり、お裁縫、手芸など、手先を使ったり、自分を表現することが好きだったので、ピアノもやはり好きだった。しかし本格的にやり始めてからはずいぶん大変だったと我ながら思う。

 

今は主人と三人の子供との五人家族、主婦業のヘタな私だが、五声の音楽を奏でる様に家族それぞれが自分の人生を奏で、そして家族としてハーモニーになってくれたら素敵だと思う。しかし毎日の生活の中では何だか少し不協和音のように私には聞こえる。

最後に、私をここまで大切に育ててくれた両親、先生方、そして人生のパートナーである主人、子どもたち、友人たちに心から感謝したい」

一九九六年七月七日にはルーテル市ヶ谷センターで、第二回のリサイタルをしました。曲目はやはり、大好きなショパンとドビュッシーが中心でした。

泰子さんの演奏活動

音大の先輩たちがやっていた桐’76に参加し、演奏会で弾かせてもらいました。我が家のミニコンサートでも一緒に演奏し、小学校のPTA活動でも演奏して大変好評でした。

また、地域活動のファロ二〇〇八inこうえんじひがし「癒やしの音楽会」でも、私と泰子さんは、あらゆるところで演奏の機会をいただきました。泰子さんは、夏休みを利用して、我が家でピアノのお弟子さんの合宿もしていて、ホールに貸し布団を敷いて雑魚寝したりもしていました。