こんな事件がありました。
新築中は、隣の中野区に引っ越していて一九八七年一月、新居が完成しました。四月になり、長男・保の小学校の入学式に行き、クラス発表の掲示板を見たのですが、そこに息子の名前がなかったのです。
新築中に住んでいた中野区から杉並区へ戻ることは、事前に区には連絡していたのでしたが、手違いで外されてしまったようでした。
その後無事に元々決まっていたクラスに入って一件落着……と思ったら、あきれたことに、受け取った体操着には女児用のブルマが入っていました。思わぬアクシデントが重なり、初めからかわいそうなことをしてしまいました。
一九九五年三月二十日、次男・啓の入学式前に、泰子さんは次男と二人で、泰子さんの友達の家に遊びに出かけました。ところが、東高円寺駅まで来たとき、お土産のお人形を忘れたことに気がついて、一度家に戻りました。
そして東高円寺駅から地下鉄に乗ったのですが、何か様子がおかしかったと言います。しかし、それが何か二人はわからずに霞ケ関駅まで行ったのです。
実は、家に戻らなかったら、サリンが撒かれた電車に乗っていたかもしれなかったのです。二人は難を逃れ、無事で一安心でした。
二〇一一年三月に泰子さんは、母親と次男・啓の三人で故郷九州へ旅行に行きました。福岡県や長崎県に行き、あちこち見学していました。すると十一日に地震の報道がありました。
東日本大震災です。あまりにも被害が大きかったので、心配で私にスマホで連絡をしたのですが、なかなか連絡が取れませんでした。やっと連絡が取れ「我が家は大丈夫だった」と聞いたときは、心底安心したと言っていました。
【前回の記事を読む】泰子さんとピアノ。幼少期からピアノに触れ、認知症になった現在だからこその課題とは...
本連載は今回で最終回です。ご愛読ありがとうございました。