自作オペレッタをしたこともありました。最初は、私が顧問をしていた城西学園の弦楽部が演奏を担当して、我が家のホールで演奏会をしました。
次は、二〇〇五年十二月十三日に「セロ弾きのゴーシュ」をしました。脚本も作曲もピアノのお弟子さんにさせていました。チェロは男の子のお弟子さんが弾くことになり、私が特訓をして教え、本番では一緒に弾きました。
この演奏会は、新高円寺のスタジオSKで開催しました。とても印象に残る素晴らしい発表会となり大成功に終わりました。子どもたちが小学校に入ったら、ピアノのお弟子さんがどんどん増えていきました。
そのうち子どもたちの親からも「習いたい」と言われるようになり、シニアクラスを設けました。勉強会と称して開催するときだけ、ホールのピアノで弾けるのをみんな楽しみにしていました。
泰子さんがだんだんピアノをうまく弾けなくなってきたので、二〇一〇年六月十三日第三十四回「シューマン・ショパン生誕二百年コンサート」を最後に、二十二年間にわたり開催してきたミニコンサートを終えることになりました。
泰子さんが自分で弾いて指導ができなくなり、徐々にお弟子さんが辞めていき、最後は一人になってしまいました。
そこで最後の発表会を、二〇一六年三月十九日に開きました。お弟子さんのお友達とその母親が聴きに来てくれました。
そのとき演奏した曲の中に、バッハのプレリュードがあったので、私がチェロを弾いてバッハ/グノーの『アヴェ・マリア』を演奏しました。さらにお楽しみコーナーとして、みんなで「紙笛で合奏しよう」と、みんなで楽しく合奏しました。
また「ウソをついてもわかる数当て」をして楽しんでもらい、無事に終了することができました。これが泰子さんの指導者としての最後となりました。
ピアノを好きになってもらいたい、音楽を好きになってもらいたい、という願いを込めて、最後まで本当に頑張っていたと思います。
泰子さんに大きな拍手を送りたいと思います。