第2章 ピアノの演奏はどうなったの

2 バッハ/グノーの『アヴェ・マリア』に挑戦

暴言が始まった

また、こんなことを言いだしました。

「父さんは、好きなことをやってきたからいいけど、私は忙しくてやりたいことができなかった」と。これもそんなことはなかったのですが……。

この頃、泰子さんは精神的に落ち込んでいて、こういったふうに特に弾けなくなったことについて、私を責める言葉が多く出るようになっていました。もしかしたら、実際にそう思っていた時期があったのかもしれません。

なので私は、そのことに関して絶対に否定はしないで、むしろ「ごめんね」と謝っていました。いろいろなことがだんだんできなくなってきて不安だったのだと、今は思っています。でも私はやはり辛かったです。

もしかしたら、できなくなってきたことを人のせいにするのは、認知症の症状の表れなのかもしれません。またこの頃、私は自分のチェロの発表会の準備をしたり、チェロの仲間と合奏練習をしたりと忙しくしていて、泰子さんとなかなか一緒にいられない時間も多くなっていました。

そこで、泰子さんに「四月二日のチェロの発表会を欠席し、それからレッスンはやめることにするね」と話しました。するとその後、泰子さんはすっかり落ち着きました。やはり私が、チェロのレッスンに行くことが、寂しさや不安を助長していたようでした。

さっそく翌日から、泰子さんがピアノを弾き始めたので見てあげました。もちろんバッハ/グノーの『アヴェ・マリア』です。最後の八小節を続けて弾けるようになりましたが、どうしても同じところで間違えてしまいます。

次の日も、最後の八小節を続けて弾く練習をしました。別の日も、ピアノを弾きたいというので、見てあげると、泰子さんが「どうしても、私たち結婚のきっかけとなったブラームスのチェロソナタ第一番を弾きたい」と言うのでその練習を始めました。

とはいうものの、この曲はそう簡単ではないのです。初めの三小節の三つの和音の左手をやりました。三小節目の和音が、なかなか鍵盤に手が行きませんでしたが、少し弾けたので出だしは良かったです。

次の日はピアノを一人で弾いていました。ブラームスのチェロソナタ第一番が中心で、やはりチェロの最初のメロディーを弾いています。ときどき、『アヴェ・マリア』も弾いていました。

ブラームスはその後も練習していましたが、難しいのでなかなか弾けません。それでもピアノの練習をしたい、と言うので教えました。和音のところは、なかなか指がその形になりません。

そこで、メロディーやアルペジオのところを弾いてもらったら、こちらは割とスムーズにできました。二つ以上のことをするのは、難しいようです。その後もブラームスの練習を頑張ってしていて、頑張った分だけ精神的に安定していました。