第2章 ピアノの演奏はどうなったの
1 認知症と診断された頃
認知症と診断された二〇一三年頃、ピアノはどの程度弾けていたのでしょうか。
「バラードの四番は最後まで弾けた」
「ショパンの『ノクターン』を、楽譜を見ながら一ページ弾くことができた」
「以前弾けなかった、ジャズ風のクリスマスの曲が弾けた」と、泰子さんは喜んで話してくれました。
二〇一三年の頃はまあまあ弾けていたようで、やはりピアノが弾けることがうれしかったようです。
二〇一四年はどんな感じだったのでしょうか。
「ベートーヴェンのチェロソナタ第三番一楽章が最後まで弾けた」と喜んでいたかと思えば、しばらくすると、楽譜を書こうとしてもト音記号や音符もうまく書けませんでした。
次に二楽章の練習をしていました。そして「結構うまく弾けた」と言って喜んでいました。
その後パブリート(チェロのお弟子さんの会)の合宿で、泰子さんはベートーヴェンのチェロソナタ第三番一楽章を、つっかえつっかえでしたが、みんなの前で弾かせてもらいました。頑張って弾いてよかったです。
ピアノのお弟子さんの弾いている曲を練習したら、「楽譜も読めて指も思い通りに動いてくれた。ベートーヴェンも弾けたのよ」と言って喜んでいました。
この頃はまだ、少しは弾けることがありました。
二〇一五年になりました。
「ピアノも弾けるし、楽譜が少し読めるようになってきた」と、年初の頃は言っていました。
しかし、少しずつ認知症が進んできたからか、だんだん弾けなくなってきました。
そして、弾かないことが多くなりました。やはり弾けないと辛いので、弾かなくなってしまったのかもしれません。お弟子さんにも弾きながら教えてあげられなくなってきました。
そんな中、若年認知症交流会「小さな旅人たちの会、略してちいたび会」(第三章で詳しく述べます)に出会い、泰子さんに気持ちの変化が見られ、明るくなってきました。