第一章 「高天原」訓読の研究成果と考察─その今日的意義

1. 『古事記』の訓注の役割と重要性

現在、『古事記』研究の第一人者と目される神野志隆光は、注の種類を細かく分類したうえで、その一種である訓注とは、「よめる」ことが十分に「保障」されないところの「読み方」を指示することによって「理解可能」を保障するものであった注1)と論じている。

また、山口佳紀は、訓注が本文読解のためにどのように役立っているのか、全用例にわたって検討した。その結果、『古事記』において訓注が加えられているのは誤読・誤認されやすい場合であり、訓注は「ヨミ」(日本語に還元すること)を示すためのものであること、そして問題となるのは、「よみ」(理解)が左右される場合であるとして、『古事記』の文脈から訓注の意味や性格を把握した注2)

ここで筆者は、ほとんどの訓注(42/45例)が、上巻に集中している点を重視すべきであると考える。

武井睦雄は、訓注を附せられた語を分類して、固有名詞が27例(うち、その内容として神および神格化された存在をあらわすもの─26例)、普通名詞とみられるものが10例、動詞とみられるものが8例とし、全般を通じて、神名・神呪など宗教的要素の認められるものが多く、それらが、特に古い時期についての記述に関するものであることを指摘した注3)

武井は、訓注の附せられている語は、筆録者(『古事記』の本文をその本文の形に記したひとを意味する)にとって、重要なものと考えられていた語であったはずであり、かつ、当代において、すでに古語であったもの、ないしは、まれにしか用いられなかったであろう語であるとしている。