第一章 「高天原」訓読の研究成果と考察─その今日的意義
3. 「たか あまはら」の研究事例と考察
そして吉田は、『古事記』にみる古語のままに伝えようとする姿勢、「訓雲(くも)云具毛(ぐも)」「訓土(つち)云豆知(づち)」の注記などの連濁 (れんだく)(注1)の例、「訓金(かな)云加那(かな)」の注記などの連声の訓法等、を考慮して、高天原は、「タカアマハラ」と読むのが至当であると結論付けた。
吉田は、連声の訓法は古くは稀であったにもかかわらず、『古事記』の注釈書には、賀茂真淵ら江戸期の学者の影響によって、約音略音で語の成立を説明するものが多いことを指摘している。
また、後世にタカアマが、タカマと約略によって転訛したことは、言語学上、当然のこととしても、後世の語をもとにして逆に古代語の約略を説明するのは間違いだと論じている。まさに正論である。
さらに吉田は、高天原の用語が、延喜式の祝詞に多く存している点に着目した。そこで「高天原」と「高天之原」・「高天能原」・「高天乃原」の二様の書き方があることを見出している。そして、「高天之原」のように「ノ」が入っている祝詞は、
平野祭(ひらのまつり):京都市北区にある平野神社の例祭
久度古開(くどふるあき):久度は窯(かまど)の神(大野城市などでかまどのことをくどと言う)、古開は使い古した使用済みの窯の神への神事
道饗祭(ちあえのまつり):都の四隅道上で、八衢比古神(やちまたひこかみ)、八衢比売神(やちまたひめのかみ)、久那斗神(くなとのかみ)の3柱を祀り、都や宮城の中に災いをもたらす鬼魅や妖怪が入らぬよう防ぎ、守護を祈願する神事
鎮御魂齋戸祭(みたまをしずめるいわいどのまつり):新嘗(にいなめ)祭の前日夕刻に宮中三殿近く綾綺殿で行われる「鎮魂祭(みたましづめのまつり)」との関連で行われる天皇の霊魂の象徴としてその御魂を鎮め奉る祭儀。
鎮魂祭のミタマシヅメの儀式に用いられた木綿と、ミタマフリの儀式に用いられた御衣とを、十二月の吉日を卜して神祗官の斎院にある斎戸神殿に奉遷して行われる。
遷却崇神(たたるかみをうつしやることば):道饗祭が災禍の予防を主目的とした祭りであるのに対し、遷却崇神祭は災禍の原因となる神々を祭り、その心を和めて遠方に遷すことを目的とした祭り
だけであることを指摘し、これら祝詞のいずれも、平安遷都以降の比較的新しいものであるとした。