第一章 「高天原」訓読の研究成果と考察─その今日的意義
2. 「たか あまのはら」の研究事例と考察
例えば、高校教育の現場でしばしば使用される『例解古語辞典』(注1)には、「たか-まがはら」の見出し語は存在しない。「たか-ま-のはら」の項目に、{【高天原】(名)「たかあまのはら」に同じ}と記され、「たか-あまのはら」が、第一の見出し語として詳しい説明が付されている。
まず、「神の住む天上国」とあり、「語形」として、{高い所にある「天の原」の意で、「高天」の原と理解されないように、『古事記』には、「たか-あまのはら」と読むことが指示されている}とある。
他の普及版の古語辞典では、「たか-ま-のはら」が多数を占めているものの「たかま」は「たかあま」の約、あるいは、「たかまのはら」が「たかあまのはら」の転であると明示されている(注2)。
『古典基礎語辞典』(大野晋編)でも、「たかまがはら」の見出し語はなく、「たかまのはら」の見出し語で、「タカ(高)アマ(天)ノ(助詞)ハラ(原)の約。
タカは美称。アマはアメの古形で、地上のクニ(国、行政権の及ぶ範囲)と一対を成し、天上の国を表す。後にアメが単なる大空の意と解されるに至って、ツチ(土)と一対になった。ハラは広く平らなところの意。」とある(注3)。
これらから、「たかあまのはらの変化した語」が「たかまのはら」であること、また、「たかま」「たかまのはら」の原形(古形)が、「たかあま」「たかあまのはら」であることは容易に理解できる。
3. 「たか あまはら」の研究事例と考察
本来、「天」の訓の古形は「あま」であるが、『古事記』における古語表現を重視した吉田留は、本居宣長翁の偉大さを称賛しつつ、果敢にもその「誤り」を指摘した(注4)。
吉田は、『古事記』が、古伝説とともに当時亡んでいた、あるいは亡びつつあった古語を保存している点に改めて注目した。
そして、宣長が『日本書紀』の中の漢意を攻撃しながら、「書紀」の言語の中にも当時の言語に改変されている用例の多いことを忘れ、「書紀」の用語、祝詞、万葉の語に基づいて、『古事記』の古い言語を説明しようとした点を問題にした。
すなわち、宣長が、訓注の指示よりも「タカマノハラ」や「ヤタカガミ」と訓じられている当時の用例の方を重視したことを問題視したのである。
本居宣長は『古事記伝』で、「古事記はもっぱら古語を伝えることを旨とした書」と記しながらも、訓読法は、源氏物語を愛好した宣長らしく平安文学の読みに依拠してい
る点が多い。やはり、吉田の指摘通り矛盾していると言わざるを得ない。