ところで、『延喜式』の古い祝詞には、        

「八百萬乃神(やおよろずのかみ)」「豊葦原乃瑞穂乃國(とよあしはらのみずほのくに)」(中臣壽詞(なかとみのよこと))

「高天能神主(たかあまのかみぬし)」「天能八重雲(あまのやえくも)」「出雲國乃國造(いずものくにのみやつこ)」(出雲國造神賀詞(いづものくにのみやつこのかんよごと))

「天之磐座(あまのいわくら)放之八重雲天(あまのやえくも)乎伊頭乃千別爾千別氐」(六月晦大祓(みなづきのつごもりのおほはらひ))

「天原高(たかあまはら)爾神留坐」「高天原爾千木(ちぎ)高知氐 皇御孫命(すめみまのみこと)乃瑞能御舎乎仕奉氐」(祈年祭(としこいのまつり))

と、かなり詳細に助詞の「乃・能・之(ノ)」、「乎(ヲ)」、「爾(ニ)」、「氐(テ)」などが入れられている(注2)

にもかかわらず、古い祝詞の「高天原」のところには助詞の「乃・能・之」(ノ)が入っていない。いっぽうで祝詞が古い読み方を重んじたことは知られている。このことから、吉田は、タカ・アマ・ハラと、「ノ」を入れずに読まれたと考えたのである(注3)

これは、祝詞ができた頃、つまり、後世に訛(なま)ってタカマノハラと発音した以前の古い祝詞の時代、換言すれば、原初的な神道(古神道)においては、祝詞もタカアマハラと読んだ可能性を示唆している。

平田篤胤は、『古史徴開題記(こしちょうかいだいき)』で、記紀撰録以前にも多くの古文献が存在し、それをもとにした『延喜式祝詞』こそが神代の正しい伝承を伝えている、と述べており、「ノ」を入れずに読まれたという説の補強となる(注4)

中世の神道書(注5)に目を転じてみよう。例えば、延喜式祝詞(祈年祭)中の「高天原爾神留坐」と酷似した祭文(さいもん)の一節が、『倭姫命世記(やまとひめのみことせいき)』にはあり、そこには「高天之原尓神留坐」と書かれている。

爾(に)が尓(に)となっているだけでなく、「高天原」が「高天之原」となり「之」が入っている。中世と古代との違いを示す明白な一例である(同じ中世の神道書でも『旧事本紀玄義(くじほんぎげんぎ)』では、「神皇実録曰、於高天原化生神」とあるが、これは古伝説を引いているためか「之」が入っていない。

『大和葛城宝山記』にも「高天原広野姫朝廷」がみられるが、これは天皇の諡号(おくりな)だけに「之」が入っていない)。いずれにせよ、これまで述べたように「之・能・乃(ノ)」が本当に必要ならば、「高天原」ではなく、「高天之原」・「高天能原」・「高天乃原」と記したことは明らかである。

次に来る天之御中主神(あめノみなかぬしのかみ)、国之常立神(くにノとこたちのかみ)のように、初めから「之=ノ」を入れて表記したことであろう。


注1 二語が複合して一語をつくるときに下に来る語の初めの清音が濁音に変わること。「みかづき(三日月)」の「つき」、「じびき(地引)」の「ひき」の類(広辞苑第三版)。

「はなぞの(花園)」「やまばと(山鳩)」「いけばな(生花)」「ときどき(時々)」「えんぎ(縁起)」などの例や「ぐらい」「だけ」などのように名詞に由来する助詞にも見られる。連濁は必ず起こるとは限らない。

「赤玉」などは「だま」と濁って読むが、「勾玉(まがたま)」や「水玉(みずたま)」は濁らずに「たま」と発音される。前に来る語に濁音が含まれていたり、清音の後ろに濁音が存在すると連濁が起こらないようであるが、例外もある。

また、「それくらい」と「それぐらい」のように、両方使われる例もあり、強調するか否かの場合もあると考えられる。

注2 『古事記・祝詞』日本古典文学体系1所収「祝詞」倉野憲司校注 岩波書店

注3 「古事記の訓注について」吉田留 同掲書 p42~55

注4 『日本思想史辞典』子安宣邦 ぺりかん社 2001 p141

注5 『中世神道論』日本思想体系19 校注 大隅和雄 岩波書店 1982

【前回の記事を読む】吉田は、『古事記』が、古伝説とともに当時亡んでいた、あるいは亡びつつあった古語を保存している点に注目した

 

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