【前回の記事を読む】「聖なる世界としての高天原は「たかあまはら」、あるいは「たかあまのはら」と読むのが自然である

第一章 「高天原」訓読の研究成果と考察─その今日的意義

6. 本章のまとめ、および「高天原(たかあまはら)」の今日的状況と意義

(2)「高天原(たかあまはら)」の今日的状況と意義

神社本庁の出している冊子やHP等での高天原の読み方は、公式には「たかまのはら」となっている。

しかしながら、これまで祝詞等を聞く機会があり、ときには高天原が、「たかまのはら」や「たかまがはら」の他に、「たかあまはら」と奏上されていた注1

神社本庁以外では、平田篤胤の「天津祝詞」等を奏上する神道系教団、のほかに、

初代出口ナオ師と出口王仁三郎師の「大本教」系の教団

初代谷口雅春師の「生長の家」系の教団

初代岡田茂吉師の「世界救世教」系の教団

初代友清歓真師の「神道天行居(しんとうてんこうきょ)」

初代五井昌久師の「白光真宏会(びゃっこうしんこうかい)」

初代岡田聖凰師の「崇教真光(すうきょうまひかり)」をはじめとする真光系教団

(御立教順)

など、幾つかの新宗教における「祝詞(のりと)」「祈言 (のりごと)」等の奏上は「たか-あま-はら」となっている。

また、国内外で評価の高かった日本画家の出雲井晶は、神話教育にも極めて熱心であった。神社本庁の出版物にしばしば登場し、日本神話の素晴らしさを語り、次世代に伝えることの大切さを説いている注2。その日本神話の普及に尽力された出雲井晶は、一連の著作で全て「たかあまはら」と表記している注3