これは、筆者が、2016年3月に「日本神話における『高天原』の訓注の解釈および訓読の転訛に関する研究(教育現場からの考察)」(大月短期大学60周年記念論文集所収)が刊行されたのち、2018年2月8日(木)0時51分に、Wikipediaの「高天原」を書き換えたものであるが、その後、一時書き換えられたものの、ほとんどが筆者の書き換えた原文に戻り、2023年12月3日現在、ほぼ確定稿となっている。
心ある識者の協力のお陰でもある。
日本神話における高天原には、多様な読みがあり、何らかの裏付けや歴史的な変遷が存在する。但し、「たかまがはら」については中世以降の読み方であり、上代には存在しなかったこと注7は、前述の通りである。この点に関しては、一般常識の形成に影響力のある Wikipediaを幾分でも改善できたことに感謝したい。
現代日本において、歴史関係の執筆者諸兄の多くが、近世以降の文献資料を渉猟して「高天原」を「たかまがはら」とのみ訓み下し、結果的に多様な読み方を封じてしまっていることは極めて遺憾なことである。記紀神話に関する上代文学研究の成果をふまえ、歴史関係者も虚心となられ、その成果を活かしていくことを念ずる次第である。
「たかまがはら」との訓みは、近世を中心とした庶民文化の中でのみ有効である。だが、本来、「記紀」のような上代文学や日本神話、日本古代史、とりわけ日本古代の宗教および精神世界を語るうえでは、明らかな間違いであることを、声を大にして伝えたい。
「歴史とは現在と過去との対話である注8」とのE・H・カーの言葉を引くまでもなく、古代日本人の精神世界に触れることを欲し、また、我が国の将来を担う青少年に日本神話への関心と理解を与え、その魅力を説くならば、「高天原」にいかなる訓みが相応(ふさわ)しいのか、識者各位に謹んで再考を願うものである。
注1 平田篤胤の「天津祝詞」等を奏上する神道系教団。篤胤は様々な神社や神道流派に伝わる禊祓の祝詞を研究しそれを集成した形で「天津祝詞の太祝詞事」というものを示している。
注2 『日本人なら知っておきたい「日本神話」』 産経新聞出版 2009 『絵で読む日本の神話』 明成社 2000等
注3 『日本人の心シリーズ 神話と私たち』 神社本庁発行 平成6年
注4 『古事記ものがたり』著者 小林晴明 宮崎みどり サン・グリーン出版 1999 平成27年現在で、「改訂版第18刷」となり、5万4千部を突破しているという。
注5 『アマテラス』1 美内すずえ(花とゆめCOMICSスペシャル)白泉社 2009
注6 『もう一度学びたい古事記と日本書紀』多田元 西東社 2006 p30 『秘密結社の日本史』海野弘 平凡社新書 2007 p19
注7 『古事記の研究』 西宮一民 p177 p483
注8 『歴史とは何か』 E・H・カー 清水幾太郎訳 岩波新書 1962
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