また、その語形を正しく読まれることを要請された語であったものと考えた注4)。そして、吉田留は、当時の上代人にはある程度、文字が普及し、文字の心得のある古事記の読者に対し、注を加えなくても読めた「帶(たらし)」「日下(くさか)」等の類の語が相当あったことを認めたうえで、文字もなるべくその語の発音のままに表れるものを使用したと考えた。

つまり、「高天原 (たかあまはら)」「八尺鏡 (やあたかがみ)(八咫鏡)」等の用例のように、特に古形のままで読ませるものについて訓注を附したということを主張したのである注5)

「尺」は「咫」(あた)で、日本の上代の長さの単位を示す。開いた手の親指の先から中指の先までの長さで約8cmとされる。古代中国・周代の長さの単位でもある。

縄文時代にも長さの単位があって、いわゆる「縄文尺」では、ひじから指先までの長さ約35㎝を基準にしているという。

三内丸山遺跡(約5500年前)の神殿とも考えられている大型掘立柱建物の柱穴は、正方形を二つ繋いだ長方形であるが、正方形の一辺がそれぞれ4・2メートルとなっている。

4・2メートルは縄文尺(35cm)の十二倍であり、メソポタミア文明と同じように十二進法が採用されていたとの説(伊達宗行『「理科」で歴史を読みなおす』等)もある。

ちなみに、尺貫法では、一尺は約30・3 cmだが、「鯨尺」では約37・9 cmである。「一咫」は、「縄文尺」や「鯨尺」のおおよそ半分程度と言える。