二章 インドの洗礼

その感覚に身を任せていると、不思議なことに、行ったこともないインドヒマラヤの山間(やまあい)の道を、羊飼いの少年が、鞭を手に羊を追って登っていく姿が浮かんできた。

モノクロームの映像は、インドの歴史や、そこに暮らす人々の営みを次々と映し出している。紀元前一五〇〇年頃と伝わる、アーリア人の中央アジアからインドへの大移動。そしてモヘンジョダロの遺跡で有名なインダス文明を築いた先住民、ドラヴィダ人との戦いの歴史。

僕は大きな劇場で、インドの大叙事詩を観ているような感覚に囚われていた。古代インドの戦いの場面では、馬に引かれた二輪車に乗り、青銅の剣で戦う戦士の息遣いも間近に感じられ、まるで自分が古代の戦士として戦っているような錯覚さえ覚える。

紀元前二六〇〇年頃に栄えたインダス文明以来、多くの民族と宗教がインドに流れ込んできた。アーリア人をはじめ、イラン人、ギリシャ人、ユダヤ人、アジアの辺境の民族、初期キリスト教徒、ゾロアスター教徒、イスラム教徒など。彼らは大海に呑み込まれるように、インドという大地に同化していった。

次から次へと目まぐるしく移り変わるインド文明の変遷に心を奪われていると、いつの間にか映像が途絶え、スクリーンからは光が消えていた。

僕はベッドの上で嬰児のように丸くなり、眠りに落ちていく。意識が遠のきそうになったその時に蘇ってきたのは、オールドデリーの路地をねぐらとする物乞いの人達の「バクシーシ ─お恵み下さい─」「バクシーシ!」「バクシーシ!」と憐れみを誘う声だった。