吾郎の部屋を出ると、僕はバザールに向かった。よほど熟睡したのだろう、彼のベッドで二時間ほど横になっていただけなのに、体が軽くなっている。
インドに来てから心と体の中に溜め込まれていた、澱(おり)のようなものも消えていた。ただ法律で禁じられているマリファナを吸ったという罪悪感が、心のどこかに残った。
バザールのある路地は、たくさんの人が品物を求めて賑(にぎ)わっていた。
このバザールでは、女性達が地面に布を敷き、そこにジャガイモやカリフラワーといった野菜、果物、ナッツ類、香辛料などを並べて売っている。
どの女性も生命力に溢れ、ひっきりなしに訪れる客との値段の駆け引きや会話に、大声を上げたり笑い合ったりしている。インド北部では今、短い冬を迎えていた。ヒマラヤに近いリシケシで、この季節の果物といえば林檎(りんご)ぐらいしか売っていない。
いつ来ても所有者が定かでない何頭かの野良牛が、餌を求めて狭い路地をゆっくりと歩いている姿があった。
僕はここでいつも不思議な光景を目にする。物売りの女性や買い物客は、気が向くと野菜や果物を牛の目の前にわざと投げるのだ。すると、牛はもらえるのが当然のような顔をして立ち止まり、尾を左右に振って餌を咀嚼する。
バザールには地面に染み付いた牛の糞や、インド人特有のむせ返るような体臭、刺激の強い香辛料などが混ざり合った独特の匂いがあった。
「How much is this one」
日本のものより少し小振りな赤い林檎を手に取ると、黄色いサリーを着た中年女性に聞いた。
「一個百パイサだよ」
林檎売りの女性は、見慣れない外国人をいいカモと見たのか、少し意地悪そうな顔で相場よりかなり高い値段をふっかけてきた。