二章 インドの洗礼

彼女は言い終わると、腕を組みソッポを向いた。

僕は唖然として何も言い返せなかった。悔しいけれど、したたかなインド人女性に軽くあしらわれてしまったのだ。好奇の目で見物していた人垣をかき分けて、その場から逃げるように立ち去った。

行く当てもなく路地を彷徨(さまよ)っていたようだ。いつの間にかバザールの喧騒から離れていた。インドの暮らしにようやく慣れて、少し自信のようなものが芽生えてきたところだったが、そんなものは跡形もなく吹き飛んでしまった。

立ち止まり、空を見上げた。そこには冬の澄んだ青い空が広がっている。

ヨガ道場の生徒達が言っていたインド人の狡猾さとしたたかさは嘘ではなく、作り話でもなかったのだ。

習慣も文化も違う異国での暮らしを、僕は甘く見ていたのかもしれない。

「明日からまた、出直しだ」

そう自分に言い聞かせ、歩き出す。

インドの手荒な洗礼を受け、心が重かった。山並みの向こう側から流れてきた雲が、地平線の反対側へと消えていく。その白い雲と澄んだ青空の中を、小型の猛禽類が翼を広げてゆっくりと弧を描いている。

シバナンダアシュラムでの瞑想を終え、ガンジス川沿いの道を下流に向かってゆっくり歩いてきた。立ち止まり、川岸から少し離れた枯草の上に腰を下ろす。

対岸に視線をやると、ガンジス川に寄り添うように伸びる道には人影がなく、石造りの巡礼宿や、ヒンドゥー寺院はひっそりとしている。

僕はただゆったりと、その場の空気に身を委(ゆだ)ねていた。

ふと左を見ると、少し離れた所に一人の髪の長い少女がいた。彼女は草で編んだ小舟に立てられている蝋燭に火を灯すと、両手を添えてガンジス川にそっと押し流し、頭(こうべ)を垂れて、ずいぶん長く祈りを捧げていた。

おそらくプジャーと呼ばれるヒンドゥー教の儀式だろう。時代を超えて親から子、孫へと受け継がれた聖なる儀式は、灯明の一つひとつに、神への祈りと願いが込められている。過酷な大地に暮らす人々にとっては、祈りの行為そのものが喜びであり、生きる支えに違いない。