「普通の会話ができなくなったら、それから先、どうしたらいいの?」とサキコさんは言い、ユミを見た。

「夜勤で大変なの、うちのだんな。夜中に働くのよ。私が出るころに帰ってきて、私が帰る前に出ていくこともあるの。三か月ごとに日勤に代わるけどね」

「ずっと夜勤じゃ命が縮まる」と僕。

「で、どんな仕事なの?」

「一晩中パンを焼いてる、工場で」

「いい仕事だ」と僕は言った。

「私もそう思う。本人もそれがプライドなの」とサキコさんが言う。

「それが、何でこんなことに?」

「夜勤明けに、工場から出て駐車場までおばさんたちと一緒に来るらしいの」

「ある朝ね、母親くらいの人から『いつまでパンなんか焼いてるつもりなの』と真顔で訊かれたんですって」

「それで……」と、サキコさんは言葉を切った。

「こんなおばさんたちと死ぬまで一緒でいいのかい、とそこにいたおばさんたちが皆で笑ったんだって。その事をだいぶ後になって私に話したのね。今思えば、自分なりにやり過ごしてから話してくれたんだと思う」

サキコさんは氷の入ったアイスティーをストローでかき混ぜて少し吸った。

そして、「私ね」と言ったきり黙っている。眼帯のない方の右目から涙がこぼれた。

【前回の記事を読む】最難関の医学部に進める可能性はほぼゼロだということを思い知らされた日

 

【イチオシ記事】配達票にサインすると、彼女は思案するように僕の顔を見つめ「じゃあ寄ってく?」と…

【注目記事】長い階段を転げ落ち、亡くなっていた。誰にも気づかれないまま、おじさんの身体には朝まで雪が降り積もり…