あわら温泉物語

当日の開演前、茜屋の焼け跡の前に並ぶ実行委員の四人は、どれだけ人が来てくれるか内心とても心配していた。

「今日は、少し暑すぎるなー」

「それに路上にパイプ椅子の簡素な客席だからねー」と色々弱気な声も漏れたが、開演三十分前から続々と人が湧き出すように現れ、用意した百席はすぐに埋まってしまった。

山崎と大森、そして高志が趣旨説明やお礼の挨拶をした後、早速「三人楽女」というジャズとサンバの演奏グループがトップバッターに立った。

会場は、初めから熱心な手拍子で盛り上がる。続いてウエスタン、次にクラシック、ポップス、ボサノバ、フォーク、津軽三味線、ピアノ弾き語り、バイオリン、サックスと多様な音楽が続いていく中、客たちもカンパ箱に投げ銭を入れていく。

終わってみれば、延べ約五百人以上から多くの浄財が集められ、茜屋に手渡された。翌日には当日来られなかったミュージシャンも駆け付けて、燃え残った椎の木の前で道路に向かって演奏した。道行く人々は車を止めて寄付をし、手を振って奇特な音楽家たちに応えた。

高志と知世は、茜屋の建物は火事で失ってしまったけれど、かけがえのない人という財産は、依然として自分たちを支えてくれていることを実感していた。

一方、茜屋視察の後東京に戻った小堀は「光と風を感じる旅館」をコンセプトに、日夜設計に精を出していた。客室に天窓を配して自然光を取り入れ、間接的な柔らかい光が降り注ぐように工夫を凝らした。