平成三十年五月五日朝、沖村家は家族で仏壇に手を合わせている。

この日は、高志の祖父で先々代の四代目沖村東五郎の祥月命日だっだ。先々代は高志に、茜屋を継承していくことの意義を身をもって教えてくれた人物であった。また、先代の健介、寿恵子夫妻も既に亡くなっており、こうした先祖たちに対して皆で深い感謝を捧げた。

長女の有衣は二十四歳になり福井県民放送に勤め、長男の久紀は神戸の大学在学中でこの日は不在だった。次女の実桜は十八歳で地元の短大生、次男の航也は中学一年生になっていた。

お参りを一通り済ませ、良質な沈香の匂いの中、先々代が遺した思いの一端を高志が家族に話し始める。

「茜屋の外玄関に掛けてある透かし彫りの看板は、先々代が特別に神代(じんだい)杉で造らせたもので、前庭の樹齢二百五十年の椎の木は本荘からわざわざ移設したものなんだよ。どちらもうちのシンボルだ」

「私たちは何度か聞いたけど、航也は初めて聞くかな?」

「うん、初めて聞いた。へぇーそうだったの。すごいね」

感心しながらも伝統を確かめ合う家族たち。こうした一つ一つの伝承が先祖の思いを引き継ぐ儀式のようでもあった。

話が終わると、高志が知世に言う。

「今日はこどもの日だから、航也の好きな芝居を見にこれから二人で福井へ行ってくるね。旅館の方、頼むよ」

「はい。気を付けて行ってらっしゃい。航也、楽しんでらっしゃい」

「はーい」

そう言って見送る知世は、この数時間後に起きる悪夢のような恐ろしい未来を到底予想できずに、ささやかな日常の中に家族が持ち寄るかけがえのない時間をしみじみと満喫していた。

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次回更新は9月15日(日)、18時の予定です。

 

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