あわら温泉物語
平成三十年二月、前月からの三十センチ以上の積雪に加えて、六日から線状降雪帯により一気に一四七センチの降雪があり、あわら市から坂井市にかけての国道八号線では、約千五百台の車が立ち往生した。
地元住民たちは自衛隊の力も借りながら、食料や飲み物、温かい休憩場の提供など献身的に被災者たちの世話をした。同様に、JR北陸線でも特急列車「サンダーバード」や「しらさぎ」が雪の中で立ち往生し、乗客の緊急避難が求められていた。
ホテル美松の長男、前田健吾は修行の一環としてJR福井駅に勤めていたが、健吾の実家があわら温泉のホテルであることを知っていた金沢駅長から電話があり、「今、特急が止まった。救助には宿泊先が必要となるが、あわら温泉で手配できるか?」という打診があった。
健吾は「すぐに地元に聞いてみます」と受けると、早速父である前田健二に電話した。
「あわら温泉で二百人ほど緊急避難的に宿泊させてもらえんやろか?」
健二は、「調べてみて、また連絡する」と答えて妻の恵美子にそれを伝えると、恵美子が女将の会のグループチャットで全旅館の空室数を尋ねた。
どこもこの大雪で、休館を考えているところが多く、従業員に既に休暇を与えていたところもあったが、それを撤回して快く引き受けてくれたのだ。
「人助けになるのなら、うちは喜んでお引き受けします」
「こんな時こそ、冷えた身体をあわら温泉で温まってもらおう」と全旅館が賛同してくれた。
唯一満館だった茜屋も、知世が「うちも送迎バスを出させてもらう」と進んで協力を申し出た。