こうして、恵美子がまとめた宿泊可能数を健二が健吾に伝えると、JR金沢支店から「芦原温泉駅と丸岡駅に閉じ込められている乗客を迎えに行ってほしい」との正式要請が出された。それを受けて、あわら温泉の全旅館は送迎バスを出して救助に向かった。

長引く大雪によって福井県全体に石油の供給がストップしており、バスの燃料も惜しみたくなるはずなのに、誰一人として不満を漏らす者はおらず、困っている人々を助けたいという思いで一杯だった。

これによって、長時間大雪の中で冷え固まった心と身体を漸く解放された乗客たちは、温かい温泉に心行くまで浸かり、旅の汗を流すことができた。

ふわふわした良い香りのする清潔な布団に、手足を思い切り伸ばして朝までぐっすり眠ることができ、皆、心の底から安心していた。

高齢者や持病のある人、乳幼児など、これ以上閉鎖された環境にあれば、最悪の事態が起きても不思議ではない状況だっただけに、人々はどれだけ救われたか知れない。

まさに、あわら温泉は救世主となった。これも、前田親子と女将の会の連携プレーで、あわら温泉の温かさと心意気を見せた一幕となった。

後日JRから、突然のことにも拘わらず素早く協力してくれた全旅館に表彰状が贈られた。その後、この逸話はJR西日本の美談として長く語り草になっていった。

女将の会の商品開発や湯けむり創生塾の屋台村への挑戦などはその成功だけでなく、あわら温泉全体のチームワークを高め、このような災害時に迅速な対応が取れるコミュニティを育んでいた。これはあわら温泉の確かな前進を物語っていた。