運転手佐々木正太の仕事は朝早かった。あるいは夜遅かった。毎日十四五時間ハンドルを握っていた。大きいと思っていたトラックは実は中型だった。

ピカピカに磨き上げた車体を見上げ、「いずれ大きいのにする、そしたらもっと稼げるもんな」と言うのが彼の口癖だった。

その日も朝早くからトラックはエンジン音をカラカラと辺りに響かせていた。アパートと言っていたが、正太の家は街外れの古い農家で、そこから北アルプスの峰々が間近に見渡せた。

両翼に安曇野が細く長く広がり、その向こうに彫りの深い山肌が屏風のように聳えていた。彼の毎日は朝の空気を吸いながら、車をゴシゴシ洗うことから始まった。

「勤め人はぴしっとネクタイを締めるだろ、それと同じよ」

そう言って今度は雑巾で丁寧に水気を拭う。たっぷり一時間はかけて磨き、ぱんぱんと柏手を打つと朝の儀式は終わった。そして悠然と中に乗りこむと、軽くアクセルを煽ってトラックは街中の運送屋へと向かうのだ。

仕事は最近まで勤めていた会社からもらっていた。正太が独立してまだ一年にならない。そして骸骨が彼の助手になってからまだ一週間も経っていなかった。正太は主に青果と雑貨を担当しており、彼の走るコースは三通りあった。

青果の時は夕方出発して真夜中に東京の築地へ到着した。雑貨を運ぶ時には早朝に出て昼過ぎに新潟で荷物を降ろし、その足で富山へ向かった。

そしてこれは時々にしかないのだが、飛騨の高山を経由して敦賀へ出向くこともあった。総じて彼は一日の三分の二を車中で過ごしており、家に戻るとそのまま高鼾をかくのが常だった。だから骸骨は気が楽だったといえるだろう。殊更正体を隠すまでもなかったのである。

紺の登山シャツにジーンズ、赤のアポロキャップに濃いめのサングラス、それがここでの服装だった。

これは正太のスタイルを真似たものなのだが、彼に言わせるとこれが一番仕事をしやすいのだそうな。肌色のマスクは、白日の下では妙に表情のないのが難点だったが、正太は何も訊かなかった。軍手の下の白手袋にも触れることはなかった。