それから十か月ほど経ったある日、旅館組合では「女将の会」の役員会が開かれていた。雅子会長と役員たちが集まり、「女将の酒」の売上げ実績を見ている。

「『女将の酒』は大好評で、各旅館の宴会でも食事でもお土産でも、どんどん売れています。これも皆さんの奮闘のお陰です」

「本当に良かったですね。田植えも稲刈りも初めてだったけど、お酒への愛情も深まって素晴らしい経験になりました」

知世の言葉に他の女将たちもうなずく。

「女将の酒」の評判は想像以上だった。組合主催の忘年会「えびす講」でも、知事や市長から絶賛で、旅館組合の理事長も上機嫌でお酒を味わっていた。それだけでなく、一から酒造りに携わり知識を深めた女将たちが、自信をもって客に勧められたことで、オリジナル商品の中でダントツの売上げを誇るまでになった。

「これを糸口に、これからは辛口とか甘口とかシリーズ化して頑張りましょう!」と知世は気勢を上げる。

こうして、「女将の酒」は大成功を収め、新しいあわら温泉の名物となった。その頃、野中は県議会議長となって県政最大のテーマである北陸新幹線の敦賀以南のルート問題の解決に奔走していた。