一方ではここへ来た時の模様が思い浮かんできた。骸骨は木箱に納まってやって来たのだ。長年小学校の一室で暮らして来たから、右も左も判らなかった。列車の乗り方も知らなかった。だが運送屋で働いたことから、荷物にして自らを送ることを思いついた。
偶然診察室の机の隅に渋谷医師の住所録が乗っていて、そこから送り先を決めたのだ。「東京都文京区大塚×× 斉藤由貴子様」と記した荷札を長持ち程の木箱に括って、自らを発送したのである。
本当はゆったりと身体を伸ばせる箱が欲しかったのだが、まさか棺桶を使う訳にもいかなかった。それで膝を抱え、首を折り曲げて送られる羽目になったのだ。外側には「医療用標本」と朱書きして、取り扱い注意とか水濡れ注意、割れモノ注意等の札をぺたぺたと貼りつけた。
だがトラックの中の二日間はひどかった。天地無用と記してあるのに全くおかまいなしだった。お陰で逆様の姿勢で揺られることになったのである。その時よく頭に血が上らないものだと感心したが、首の骨くらいは少しイカれたかも知れない。
【前回の記事を読む】舞台は大都会東京へ。あらゆる物があるということは、何もないのと同じだった。
次回更新は9月6日(金)、11時の予定です。