Chapter2 商業施設士
私が商業施設士になるまで
ここまでは商業施設士に関するフォーマルな情報をお伝えしたが、本項目では私がどのような経緯で商業施設士になったのかという個人的なエピソードをお伝えしたい。
兼業農家を営む父はものづくりの職人でもあった。幼いころから父のそばで木箱やうさぎ小屋、竹細工の編みかごなどを作っていた。小学校時代から中学校時代まで、夏休みの工作では欠かすことなく賞を貰い続けていた。
高校時代進路選択の時期が近づくと先生は企業名を出して実業団サッカー部を薦めてくれた。一方、時を同じくして2級簿記検定試験を受けたり、仙台のGデザイン展にも興味を惹かれていた。
その他、自衛官募集を担当する片倉自衛官には「松島基地で戦闘機に乗せるから来ないか」と自宅まで押し掛けられ誘いを受けた。
戦闘機に心が揺れたが、結局は仙台のGデザイン展に足を運び、進路を決めた。学生時代はアルバイトで店舗デザインを手掛けていた。当時自分が描いた完成予想パースは次々と仕事になり、在学中のデザインは3店舗の完成をみた。
手の器用さから職人と一緒に大工工事やクロス施工などもした。店舗デザインの面白さに取りつかれそのままアルバイト先に就職した。
仙台デザイン専門学校卒業作品では洋菓子店ソレーユを設計し現場監理を任され完成させた。卒業後は仙台デザイン専門学校教務から声を掛けられ非常勤講師を19 年間務めた。個人指導で教え子は500人を超える。
社会人5年目、店舗デザインの仕事を手掛けていた時に、商業施設士となる。よいデザインをするには新鮮な空気の吸えるところで自然に囲まれた空間でものづくりをしたいと決め、現在は宮城県刈田郡蔵王町の片田舎に仕事場を設け、移住しペットのヤギと共に暮らしている。少しの不自由を楽しみながら霞を食べて生きている。