序論 ジェントルマンに成りあがった男

パトリシア・ハイスミス作の『太陽がいっぱい』(原著一九五五年刊)、『贋作』(原著一九七〇年刊)、『死者と踊るリプリー』(原著一九九一年刊)を三部作と捉え論じていく。

『太陽がいっぱい』で詐欺師トム・リプリーが紳士に成りあがり、『贋作』と『死者と踊るリプリー』で仲間と紳士同盟を結んで悪事を働き、敵と対峙し課題に立ち向かっていく姿を連作として描くことで、作者ハイスミスがリプリーに託して何をわたしたちに伝えようとしたのか、読者はなぜリプリーを魅力的なキャラクターと感じることができるのか、というテーマに迫っていく。

あわせて、この三作を三部作として読み解くことで見えてくる面白さも伝えたい。

ハイスミスの作品中唯一のシリーズ物の主人公トム・リプリーは、ヨーロッパ近代の申し子だ。なぜなら、彼は自身の才能だけをたよりに成りあがった男だから。

イギリス発の産業革命、アメリカ合衆国の建国、フランス革命、こういった画期的な出来事が、自由や平等や民主主義といった観念を普遍的な価値にまで高め、人々の成りあがりを一層可能にした。

ヨーロッパ近代の「成りあがりもの」とは、自力独行=ポジティブでアクティブな、立身出世を目指す人たちのことだった。

ただし「成りあがりもの」を肯定的に捉えるだけでは、ヨーロッパ近代の歴史を理解したことにはならないし、リプリーというキャラクターを理解したことにもならない。

吉田健一氏は、ヨーロッパ近代の成りあがりものについて以下のように述べている。

『中産階級の出現も十九世紀のヨオロッパの性格を決定するのに大きな役割を演じている。それが自由、平等の観念が普及した結果であることは説明するまでもないが、この階級がそれまでの支配階級、例えば貴族、僧侶、知識人などに取って代わったことは実質的には自由とも、平等とも、また博愛とも縁がないなり上りものの一団が成されたということで、それはなり上りものであるから他のものを模倣することで個性を失い、あるいは依怙地にそれに執着することでそれを歪めた』(『ヨオロッパの世紀末』岩波文庫七四︲七五頁)