グラデーション

ナオミの祖父母ライルとセーラ、そして父母のケビンとリサは、ロサンゼルスに近いマンザナー強制収容所で二年十ヶ月を過ごし、終戦前の一九四五年四月に解放された。

祖父母は四十代、父母は十代だった。多くを語ろうとしない四人が、ごくまれに昔を思い出して語った体験談を、ナオミは断片的に憶えている。

夏でも雪の残るシエラ・ネバダ山脈麓の、荒涼たる砂漠。外壁も世帯の仕切り壁も板一枚のバラック。そこで耐えた三〇度を超える暑さと、零下の寒さ。窓や扉を閉めても侵入してくる砂埃。武装した兵士が見張る監視塔。どこか遠くの国の架空の物語のようにしか聞こえなかったが、幼いナオミは悲しくて切ない気持ちになった。

いつの間にかナオミがそばにいて、辛そうな顔をしていることに気づいた祖父母や父母は、取って付けたように話題を転じた。それでも、ナオミの脳裏には、彼らの話したいくつかのエピソードが焼き付いている。

ある日収容所に志願兵募集の軍人がやって来た。すると、二世の若者は、米国籍の自分は志願するまでもなく、徴兵されるべきではないかと憤る。日本生まれの一世の老人は、自分の母国日本と戦う者を募るとはけしからんと、日本語で罵倒する。

若者たちは戦うことによって母国アメリカへの忠誠心を示し、日系人の人権と名誉を守ろうとした。志願して入隊した彼らは、のちに勇猛果敢な戦いぶりで名を馳せる。

そして、戦後四十三年を経てアメリカ政府はレーガン大統領が強制収容を謝罪し、各収容者に二万ドルの補償金を支払った。

全財産と職業と人生の時間を奪われたのに、たったの二万ドルだぜ、と憤りを隠さない友人もいたが、ケビンは謝罪の意義を認め、この国の民主主義はやはり捨てたものではないと思っている。

また、祖母セーラが言うには、曾祖母の千鶴は、娘である自分と考えが食い違うたびに、二世には分かりっこないよ、という顔をしていたそうだ。

日本生まれで日本文化と道徳観を背負って育った曾祖母の世代と、アメリカ生まれでその価値観を身につけて育った祖母の世代には、どうしても埋まらない溝があったらしい。