第2章 戦時中から戦後の生活
1 女学校時代
女学校に入学
昭和十八年は大東亜戦争(太平洋戦争)のさ中だった。
その年のはじめ、小学校最後の学期を迎え、進学する者は放課後残って補習を受けた。大阪府下の女学校の、過去何年間かの口頭試問の問題集の中から、担任の多田先生が出題し、受験生が答えるというものだ。
戦時中であったからか、入試は口頭試問だけだった。それだけに私たちはくり返し、くり返し模範的な答え方の練習をした。
入試当日、試験場に当てられた教室の扉を開け、補習の時に教えられた通り丁寧に一礼して扉を閉め、示された椅子に腰をかけた。目の前に四、五人の試験官の先生が並んで、私の一挙手一投足に視線を集めている。
「落ち着いて、落ち着いて。あれだけ練習したんやから何を聞かれても答えられる」と私は自分に言いきかせた。
一人の先生が「講堂で校長先生のお話がありましたね。その内容を要領良くまとめて話して下さい」と言われた。
「えっ」一瞬頭の中が真っ白になった。
広い講堂は大勢の受験生で一杯だった。私の座席は後ろの方で、周りが何となくざわついていて、私は校長先生のお話をしっかり聞いていなかったのだ。
「どうしよう……」でも私は一生懸命そのお話を思い出そうとした。とても要領良くなどといえたものじゃなく、断片的に思い出しては答えた。
その他にも幾つか質問があったが、よく覚えていない。
その日入試が終わってから小学校へ行った私は、余程落ち込んでいたのか「大丈夫よ」と多田先生に慰められた。
合格発表の日は母が見に行き、私が一人で留守番をしていた。「ごめん下さい!」という声に玄関に出てみると、息をはずませた多田先生が私を見るなり「合格したよ!」と言われた。学校に連絡が入り、一刻も早く知らせようと走って来て下さったのだった。
「よかった……」私は頭上を閉ざしていた厚い雲が忽ち晴れ渡っていく思いがした。
【前回の記事を読む】祠が開かれると町はいつになく華やかに灯される 図柄や川柳に心を躍らせた夏の記憶……。