9B
如月三十日(みそか)頃になりて、河津(かはづ)まであからさまに来たれば、桜いみじういとあまた咲き渡れるに、開(ひら)けたるほどは濃きも淡(あは)きも照る日の華やかに射したるままに、こや花の宴(うたげ)な、盛りならば、まづこの清らなるありさま悉(ことごと)過ぎであらなむ、と打ち眺め遣りし。
◆河津花 咲き乱れぬる こや宴 川(かは)風寄らで 散らであらなむ
【現代語訳】
二月の終わり頃になり、伊豆(国)の河津までちょっと来たところ、桜が綺麗で、本当に沢山一面に咲いていました。その咲き加減は濃いのも薄いのも照る日が華やかに射し込んでいるのに任せています。「これは桜花の饗宴ですね。一番の見頃なら、この美しい様子全てが決して過ぎ行かないでほしいと願うのです」と物思いにふけりながら見遣りました。
◆ 河津桜が一面に咲き乱れているのは、まぁ、これは正にお花の宴ですね。側にある川の風が渡って近くに来る事がないまま、花桜が散らないでほしいと思います。
【参考】
◆ 散らであらなむ~「なむ」は、他に対する願望の終助詞で、「…してくれれば良い、…してくれないかなぁ」の意味。動詞「あり」の未然形接続なので「あらなむ」。
10A
夢に見しあるやう、清水寺の礼堂(らいだう)にゐたれば、別当(べったう)と思(おぼ)しき人の宣(のたま)ふをうけたまはりて詠める、
◆前(さき)の生(しょう) 清水の僧 にてありし 人と生まるる 仏師の功徳(くどく)
◆あないみじ 箔押しさして 亡くなりぬ さては吾(あれ)こそ 押し奉(たてまつ)らめ
【現代語訳】
夢に見たその様子の事です。京都清水寺の礼拝堂にいたところ、別当(大寺の長官)と思われるお方が仰るお話をお聞きしまして、それで詠んだのは、
◆ 私の前世はこの清水寺の仏師だったのですね、そして、今また人である菅原孝標女(すがわらのたかすえのむすめ)として生を受けたのは、その時の仏師として果たした良い行ないがあったからこそなのですね。本当に尊いことです。
◆ あらまあ! その仏師のお方は、ある御(み)仏様の箔を押す仕事を志半ばにして亡くなってしまったのですか。でしたら、この私こそが箔を押し申し上げましょう。
【参考】
・もしも、『更級日記』の作者、菅原孝標女が作歌したとしたら、こうだっただろう、と仮定しての本書作者の創作。
・そこに見えるのは、作者が見た夢。彼女の前世が清水寺の仏師であった時、寺内東にある丈六(じょうろく)の仏など、仏像を多数作り奉った功徳で、再び人として菅原家に生まれるに至ったとされる。
・車輪が回るように、永久に生まれ変わり続けて生死を繰り返す事は、前世の因縁や宿縁として決まっている。この平安時代の仏教的人生観を仏教語で輪廻(りんね)(古語では、りんゑ)と言う。
【前回の記事を読む】未だ春の時節ではないこの今、辺りいっぱいに広がっている、この花の香りに心惹かれる思い