2. 初期鉄器時代〜アルカイック時代(前古典期)(前1000~前480年頃)

ミケーネ文明の諸要素が消える前1000年頃から、ポリス(都市国家)が成立してくる前750年頃にかけての時期は、暗黒時代と呼ばれています。また、南ギリシアで一般的に使用されていた陶器のスタイルから、幾何学文様期と呼ばれ、現在では前1000〜前700年頃をさす言葉として使われています。

また、前11世紀に鉄器が導入されたことに注目して、初期鉄器時代と呼ぶことも一般化しています。

かつては、考古学的には暗黒時代でしたが、エウボイアのレフカンディ(前10世紀頃)の大規模なヘローン(英雄廟)が発掘され、墓坑や周辺の墓からの副葬品は、この頃までにミケーネ時代末以来途絶えていた東方との交流が再開していたことを示しています。

前8世紀は歴史的に重大な分岐点で、オリュンピアでの最初の競技の開催(前776年)、いわゆる、4年に一度のオリュンピアの祭典やイタリアや西方への最初のギリシア人の入植もこの時期に行われています。

ギリシア文学の中で最も早く、最も偉大な詩であるホメロスの叙事詩、またセム語から転用されたギリシア語のアルファベットが発明されたのもこの時期であると考えられています。


これらの発展と関連して、ギリシア中南部ではポリス(都市国家)が出現しました。ポリスは、典型的にはある領土を占める小さな農業の共同体で、中心地または「都市」を持ち政治的独立を享受していました。その多くは、コリントスやアテネのように、別々の村の合体(集住)によって始まったものとされています。

考古学的に、この重大な変化の最も明確な兆候は、共同礼拝所の出現(前8世紀)であり、その後、エレトリアのヘローン(英雄廟)で見られるように神殿が建設されました。神殿と神像はアルファベットと同様に、ギリシア人が近東から借用したアイデアであったと考えられています。

ギリシアの職人たちは、石造建築や大理石の彫刻など、東方の技術や様式を取り入れました。
前600年頃には、ギリシア人は専門の商船を建造し、エジプトとエトルリアやイタリアに交易所を設立していました。前600年頃に建設されたコリントス地峡を横断する石造りの運搬路(ディオルコス)は、この東西交易におけるコリントスの戦略的位置を反映しています。

ディオルコスは、おそらく「僭主」(前7〜前6世紀に多くの都市で独裁政治を確立した人物)の一人、ペリアンドロスの建設だとされています。

アルカイック期の僭主は、自らの威信を高めるためにも、公共建築物を建設し文化振興に貢献しました。また、オリュンピアやデルフィのようなギリシア全体にわたる汎ギリシア的な聖域や神託所へ豪華な寄贈を行う者もいました。

これらの聖域はアルカイック時代の栄光であり、その遺構はこの時代のギリシア人の富と芸術性の高まりを今日最も雄弁に物語っています。

前世紀後半には、スパルタがその優れた武力によってペロポネソス半島を指導する存在となりました。アテネは、前世紀にはソロンの改革に代表されるように、貴族と平民の争いが生じ、僭主ペイシストラトスの独裁政の成立、さらに、その後継者を倒したクレイステネスの改革(前年)を経て、直接民主政への道を歩むことになりました。

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