はじめに

そして三つ目は、立ち位置を正しくとることである。「天皇による国家支配の正統性を根拠づけるという権力者の意志のもとにまとめ上げられた」(長谷川宏『日本精神史 上』講談社、二〇一五年)という立ち位置から『古事記』を見ようとしても、肝心なことは何も見えないということである。なぜなのか。

先入観という「色眼鏡」によって、すべてのものが歪んで見えてしまうからだ。
哲学者ベーコン(一五六一~一六二六)が説いたイドラ(偶像、先入観)を見ることになる。

歴史的事象や史料は帰納法的に考えないと、正確に読み解くことはできない。実際に「支配」という言葉を使った瞬間から、そのモードで『古事記』を読み始めるため、数多くの重要なメッセージを見逃してしまっている。

そもそも「天皇による国家支配の正統性を根拠づける」ためならば『日本書紀』だけで事足りるはずである。わざわざ同じようなものを、正式な漢文ではなく大和言葉を交えて分かりにくくして書き遺す必要はなかったはずである。しかも記憶力や創作力が優れているということだけで下級役人の稗田阿礼を大抜擢しての事業であった。

稗田という姓から察するに、たぶん宮中に上げるために急遽(きゅうきょ)与えたものであろうと言われている。身分制度が厳格に守られている時代において、プロジェクトにとって必要な人材ということだけで特別の計らいをしての登用である。その阿礼一人を相手にして天武天皇自ら古事記編纂に関わるような状況であったと言われている。

記紀事業そのものは併行して進められているが、古事記編纂については、ひっそりと事を進めている。つまり、『日本書紀』については天武天皇が詔を発し(六八一年)、史書編纂を公にしているが、『古事記』にはそれがなく序文に天武天皇の勅命であったことが書かれているだけである。

天皇支配のための事業という思い込みで考えていると、これらのことがまったく説明できなくなってしまう。その挙句、苦し紛れに出てきたのが『古事記』偽書説、『古事記』序文偽造説といったものであろう。

そのような説を出して辻褄合わせをしなければならないのは、取りも直さず立ち位置が間違っていることを白状しているようなものである。つまり、天皇支配の歴史という立ち位置を修正する必要がある。

そこに留(とど)まっている限り天武天皇の思いと考えを真に理解することはできないだろう。実際には、まったく逆である。権力をすべて手放す決断をしたのである。トッブに居ながら脇役に徹することを決意したのである。今で言うところの市民的権利や自由をすべて放棄し、人生を捧げる覚悟をしたのである。